以前にこのブログで書いたことがあるが、近隣に道路族がいる。
子育ての経験上、道路で遊ばせる気持ちはわかるため、ある程度は許容できる。
しかし、近所の人から、あのあたりの道路族に苦情を言った人がいるらしい、と聞いた。
だから最近静かなのかと納得した。
冬休み中の騒ぎはなかなかのものだった。
少し離れている我が家にもその声は響いていた。
2階のベランダから除けば少し様子が見えるのだが、今までは付き添っていた親の姿は見られない。
小さい子どもたちが自転車やキックボートでワイワイと楽しそうに遊んでいた。
年末年始の皆がゆっくりと過ごしたいなかでの止まない騒音に業を煮やした人がいたのだろう。
ましてやこのコロナ禍。
小さい子たちとはいえ、マスクをしないではしゃぎまわる姿は褒められたものではない。
やはり限度というものがある。
子どもが目が届く家の前で遊ぶ安心感はわかる。声が聞こえていればなおさら安心。
最初はしっかり親がついているものの、そのうち誰かの親がきっとみているだろうという身勝手な考えが沸き上がる。
そして近所の人はみな許容してくれているだろうという都合よすぎる憶測が芽生える。
子どもを遊ばせている親が皆そのような考えとなってしまう。
自分が見てきたからこそわかってしまう身勝手な親たちの考え。
もう少し、もう少し控えめにしていれば苦情案件にはならなかったと思うのだが。
どっち側の気持ちもわかるが故に複雑な思いだ。