猫の日に思い出すこと

今日は2022年2月22日。そしてトラ年ということで、スーパー猫の日なんだそうだ。

猫の日だからというわけではないが、ここ最近ずっと頭を巡らせているのは昔飼っていた一匹の猫のこと。

子供のころ、実家では猫を数匹飼っていた。主に世話をしていたのは当然母親。私ら子どもは、気が向いたときだけエサをあげたり、遊んであげたりする程度だが、それでも私なりに可愛がっていた。

生き物ゆえ、いつかは当然死が訪れる。健康でずっと長生きして天寿を全うした猫以外にも、外に出たまま行方不明になってしまったり、病で亡くなってしまったこなどより悲しい別れもあった。

そのなかで、1匹だけその死を思い出せない猫がいる。あのこの最後はどうだったのか。

病気でないことは覚えている。その前に亡くなったこがずっと病院通いで、手術をしたり、点滴に通ったり、そういったことがそのこにはなかったのは覚えている。

しかしそれ以上は何度考えてもどうしても思い出せず、家族にそれぞれ聞いてみたのだが、家族みんながそのこの死の経緯を覚えていないというのだ。

そんなことってあるのだろうか。誰も覚えていないなんて。

たしかに動物好きな実家では、多くの動物を飼っていた。犬もいたし、ハムスターやうさぎ、インコなども過去に飼っていたことがある。

それでもそれぞれの最後のことは覚えているのに、なぜかその猫の最後が思い出せないのだ。

なんて薄情な飼い主なんだろうか。覚えていないことが本当に申し訳なく思う。

その思いが最近強すぎて、いつも頭の片隅にあり、ふと切なくなる。ごめんねという気持ちでいっぱいになる。

今日という猫の日を迎えて、さらに罪悪感が増してくる。

でもどうしても思い出せない。