おしゃれなママの子はやっぱりおしゃれだった

先日行った歯医者での出来事。

待合室の椅子に座っていた一人の女性。

後ろ姿からでもただようおしゃれ感。耳元に光るピアスや手作り風の洗練されたデザインのマスク。

顔はよく見えないがなんだかステキな人だなと思っていた。

しばらくして治療を終えた中学生位の子が戻ってくるとその女性の隣に座った。

治療後だったためか、マスクをしないで歩いてきたその顔にどことなく見覚えがある。

聞こえてくる二人の会話の中でママがその子の名前を呼んだときに確信した。

我が子が幼稚園時代の同級生だ。

一時同じクラスだったときに子供同士が仲良くなり、そのママとも話をすることも多かった。

そのころからそのママはとてもおしゃれだった。

毎日の子どもの送り迎えでも決してぬかりなく、いつもきちんとメイクをし、洗練されたファッションに包まれていた。
もしかしたら、たかが幼稚園の送迎なのにそんなおしゃれして、と思う人もいたかもしれない。

私からみれば彼女が持っているものすべてが飛びぬけたおしゃれにみえたが、当の本人はそれが普通なのだろう。

頑張っておしゃれをしているわけではなく、持って生まれたセンスなんだろうと彼女をみて悟ったものだ。

幼稚園は制服だったが、制服以外は自由で、靴下や靴、ヘアゴムやリボンなどは好きなものを身に着けられる。

そのママの子は常に周りとは違った個性的なものを身に着けていた。

その日、歯医者で見たその子の服装も今の流行りを抑えたスタイル。色使いや着こなし方に個性があふれていた。親子そろっておしゃれだった。

おしゃれなママの子はやっぱりおしゃれに成長するんだなと実感させれらた。

それなのに私ときたら、部屋着そのままの着古したワイドパンツに色褪せたスエット。

歯医者だし、すぐ終わるし、近所だし、と何も考えずに家からそのままの格好。

なんだかみじめだった。

同時に我が子にも申し訳なく感じた。

私にセンスがあれば、あの子のようおしゃれでいられるのに。もっと可愛くいさせてあげられるのに。

なつかしい姿に声を掛けたくなる衝動にかられたが、いや待て。こんな姿は見られたくない。

気付かれないようにマスクのギャザ―を広げて顔を隠し、スマホを見ている風を装って顔を思いっきり下に向けた。

そんなことをしなくてもあのママは私のことなんか覚えてないかもしれないけど。