老いるということ。近隣から聞こえる大音量のテレビの音

毎朝ゴミの収集場所までに行く途中に聞こえてくる大音量のテレビ音。

何を見ているかテレビの内容もはっきりわかるほどの音量で周囲に響き渡っている。

そこは高齢の男性の家。おそらく一人暮らし。

ご近所だが特に交流はなく、たまにゴミ捨ての時に出会うぐらい。

会えばにこやかに挨拶をしてくれる。やさしそうなおじいちゃんだ。

高齢のため、耳が遠いのだろう。

そして、注意してくれる家族がいないため、自分でも気が付かない程の大音量になってしまっているのだと思う。

我が家は少し離れているため、日常の中ではその音がうるさいとは感じたことはないが、すぐ隣の家には少なからず影響があるのでないだろうか。

他人事とは思えないのは、私の実家の両親と同じだから。

私の両親は二人ともまだ健在だが高齢。

そして二人ともだいぶ耳が遠くなっている。

実家にいくとテレビの音量の大きさに辟易する。

外にまで漏れるその音量に「ちょっと音が大きいんじゃない?」と咎めると、聞こえないんだから仕方ないじゃないと返される。

そう言われると何もいえない。

補聴器やら、手元スピーカーなど方法はあると思うが、提案してもさらりとスルーされる。

逆に我が家に母が訪れたときなどは我々家族が普通に見ているテレビの音が聞こえない、テレビの内容がまるでわからないとつぶやく。

だらかといって母の満足する音量にするとうるさくてたまらない。

数年前に亡くなった夫の祖母も、耳が遠くて会話をするのも一苦労だった。

耳元で大声で話したり、聞こえずにトンチンカンな返事をしてくる祖母を笑ったり、そんなやり取りに嫌気がさしたのか、祖母は聞こえてなくても聞こえたふりをして会話を終わらせるようになった。

耳が遠くなるということは、当人が日常に不便を強いられるとともに、周囲も困難を強いられる。

致し方ないとはいえ、自分がそうなるのは嫌だなと感じてきた。

迷惑をかけたくないし、迷惑をかけていることにも気づけないのは本意ではない。

「老い」という現実。

いつか自分も背負うことになる現実。

そう遠くない現実なんだろうとなと最近手離せなくなった老眼鏡をかけながら考える。

そう、こうして「老い」は確実に少しずつやってきている。

周囲に迷惑や困難を背負わせないために、自分の「老い」に気付くこと、「老い」を受け入れることが大切なんだと感じる。

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雑記
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40代を生きる