昔の写真をどうするか

年末に向けて大掃除を少しずつ始めた。
長い目でみれば終活としての断捨離も兼ねて。

大事にとっておいた雑誌や何度も読んだ小説、昔観たお芝居のパンフレットなど、ずっと捨てられなかった書籍類が今回は躊躇なくストンと捨てられた。

いつもは手に取ると必ずページをめくり、懐かしさに浸るばかりで無駄な時間が過ぎていく。あげくに結局元の本棚に戻してしまう。そんなことをくり返していたのに、なぜだがその日は捨てようと思った。

そして迷ったのは昔の写真。

今の若者は想像つかないだろうが、今のようにデータとしてかさ張らず保存できたわけではなく、昔は全てプリントされてアルバムなどに保存される。

子どもの頃のアルバムは実家に残してあるが、高校生ぐらいから自分の意思でとった写真や友人からもらった写真が手元に大量にある。

プリクラを始め、インスタントカメラが流行り、誰でも気軽にカメラを持ち歩くようになった時代。

一度遊びに行くだけでも、一緒に行った友人から同じような写真が多く届けられた。

時代を感じる髪型や服装。そのころは一応それなりだっただろうが、今見るととんでもなく野暮ったくみえる。

とても似合っているとは言えない茶髪、パーマ、赤い口紅、ミニスカート…

そして思いっきりはしゃいでいるポーズ。気恥ずかしい。見るに堪えない。

若気の至りなんて言葉では消化しきれない。正直こんな写真はもうみたくない。

元々私は写真が嫌い。自分の容姿に自信がなく、友人と一緒に映った写真などはいっそう冴えない自分が映し出される。

それでもはいチーズ!(古い?)と写真に撮られる意識をして映った写真ならまだマシ。

小さい目をできるかぎり大きく見開いてカメラ目線。少しでも自分がよく映るように努力している。

そうではなく、咄嗟に撮られてしまったもの、さりげなく映り込んでしまったものなどは痛ましい。

だが、意識していないときの姿こそが本当の自分なんだと現実を突き付けられる。

そんな写真たちをごっそり捨ててしまおうかと悩んでいる。

もうそれを見て思い出に浸るつもりなんてなく、そして誰かに見せるわけでもなく。一緒に映っている友人たちには少々の罪悪感があるが。

でもこの先、自分が老いて生涯を閉じたとき、残された家族は、若いころの私の写真がないことに気付き、さみしい人生だったのかなと心を痛めたりするのだろうか。

そしてもう長い間写真に撮られることを避け、大人になってからの写真が全くないこと。もしも想定外で早い死を遂げてしまったとしたら、遺影として使う写真がないと困惑させてしまうのだろうか。

そんな余計な思いが頭をめぐる。おそらくいらぬ心配なのだろうが、やっぱり捨てるに捨てられない。

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雑記
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